■海外雑誌記事■

 以下の記事は、アメリカで刊行されているアニメ誌「Newtype USA」の7月号に掲載された、「マイクロン伝説」=「ARMADA」の、うえだひでと監督に対するインタビューを勝手に翻訳したもの。
 同号ではこのインタビューを含め、8ページにわたって日米におけるトランスフォーマーの歴史、アニメ、コミックについての特集が組まれており、いわゆるアニメファンの間でも注目の高かった事を示している。

※12/18 誤字訂正。日本名を注釈を追加

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NTUSA:新しいトランスフォーマーのアニメシリーズ「アルマダ」についてお話し願います。

監督:この仕事は私にとって二つの意味で初めてのものでした。一つは、アメリカで放映される想定のもとに行われたコラボレーションだった事。もう一つは、完全なメカだけの作品だったという事です。

 これは実験だったために、緊張した一年でした。しかし、トランスフォーマー達をメカではなく人間として捉えても良いのだと確信すると、自分のやり方でこの作品を描いていけると思いました。
 もっとも、それでも「トランスフォーマー」を自分自身の何かと出来るようになるには2シーズンかかりましたが。

NTUSA:「アルマダ」の構想はどんなものだったでしょうか?

監督:これまでのどのトランスフォーマーのシリーズとも違ったものにしたいという思いがありました。善と悪の対決という基本的な枠組みに従いはしましたが、全体としての構成は私自身のやり方で組み立てたかったのです。その全体構成は、壮大な大河物語のテーマとなりました。私達が52話をかけて、だんだんと形作っていったものです。

 質問の内容とは離れますが、最初にこの話を聞いた時、私は、戦いに焦点を置いた、ある種の(陰惨で人間的な)戦争ドラマのイメージを持ちました。しかし、後に起こった世界規模での風潮の変化のため、それを描くのは不可能となりました。

NTUSA:キーとなった人材についてお聞かせ下さい。

監督:シリーズ全体で変形シーンを担当した阿部宗孝さんを使えたのは特にありがたかったです。それから、2、8、14、23、39話などで作画監督をしてもらった永田正美さん。もちろん、スタッフの中にロボットを描く事の出来る人たちや、トランスフォーマーの事を良く知っている人たちがいてくれたからこそ出来た事ではありますが、2人の仕事はそれを更なる高みへと上げた事です。彼らがいなければ、おそらくこの作品はありえなかった事でしょう。

 付け加えて、スタジオ監督および絵コンテの佐野隆史さんにも感謝しております。キーとなるエピソードに対する私の構想に、彼は更なる焦点を加えてくれました。良きパートナーであり、スタジオ監督であった彼の存在を忘れる事はありません。例えば、スカベンジャー(日本名:デバスター)がマントを着ていたのは、彼のアイデアによるものでした。

NTUSA:直面した困難な事についてお話し願えますか?

監督:表面的には、トランスフォーマーはロボットアニメです。しかし「超ロボット生命体」という日本でのトランスフォーマーの名前が示すように、実際にはこれはロボットアニメではなく、人間ドラマなのです。そのため、私が注意を払ったのは、ロボットに基盤を置くドラマにいかにして真実性を持たせるかでした。それが、意志と義務の対立、「戦士の生き様」の精神といったものを強調し、キャラクター作りの中に歴史ドラマの要素を組み込んだ理由であります。

 ストーリーそのものに関しては、いくつか心配していた事がありました。大河ドラマにしようとするあまりストーリーの連続性が強くなり過ぎて、一話を見逃しただけで話についていけないような事になるのではないか。子供たちに複雑な伏線は理解できるだろうか。といった事です。こういった点で自分の意見を貫いた事で、雄大な物語を作り上げる事が出来たのだと思っています。

 限られたスケジュールの中で実際の製作に取り組み始めた時、映画と同じようなやり方でどこまで物事を描けるのかという疑問に悩まされました。距離を置いたショットや、一つのシーンでの情感を引き出すカットなどといったものです。

 個人的な事を話せば、これほどまで多くのデジタルエフェクトを使う試みは、私にとって初めてのものでした。セルでは出来なかったいくつかのエフェクトを試す事が出来たのです。例えば、オートボット(日本名:サイバトロン)とディセプティコン(日本名:デストロン)で異なるワープの方法などです。

 この経験は、今後のプロジェクトにとってもプラスになるものと思っています。

NTUSA:ストーリーやキャラクターに関する要求や制約といったものはありましたか?

監督:一つだけ、ちょうど製作を始めた頃に9/11のテロ事件が起こったという事です。そのため、背景やその他にはいくらか気を使いました。
 キャラクターに広がりを持たせる意味で、ユーモアとギャグを盛り込む試みもしました。しかし、言語的なギャグに関しては、それをアメリカでの翻訳次第でどのようにも英語で表現できるよう、余地を残しておきました。そのため、そういったギャグを回避すべく申し合わせる、というような事は一切行いませんでした。
 今振り返ってみると、都市の中で起こる事件や、メインキャラクター以外の人達との交流についても、もっと多く描けていたら、と思います。

NTUSA:実際に製作されたものは、貴方の最初の構想に適うものだったと思われますか?

監督:最初のうちは、キャラクターと設定要素の豊富さ、加えて旧シリーズから引き継がれた要素の存在が、若干の障害となっていました。結局のところこういった事を全て片付けなければならなかったのです。そのため、それは困難なものでした。しかし、第2シーズンの初めの辺りになると、それぞれのキャラクターの深みがはっきりと現れはじめてきました。それはまるで、やってきた仕事が花開いたかのように思えました。

 スモークスクリーン(※4)のようにキャラクターが戦死する事もありましたが、そういった死も、戦争についてどう考えるべきなのかといった、この作品の多くのテーマを際立たせるのに役に立てる事が出来たと思っています。

 設定の複雑さに関して言えば、マトリクスやスパークといったストーリー要素をドラマに結びつけた事で、どちらもうまく使う事が出来ました。最後には、そういった複雑な設定要素とドラマがうまく働くよう使いこなす事が出来たのだと思います。
 例としてユニクロンを挙げましょう。最初、ユニクロンは登場する予定すらありませんでした。そのため、ユニクロンが登場する事が決定すると、いろんな面で少々急いで事を進めました。ミニコン(日本名:マイクロン)の存在する理由として、オートボットとディセプティコンがその相違を解決するための触媒として、ユニクロンは結果的に、シリーズを包み込む段階で大きな助けとなりました。

NTUSA:最後に、完成した「トランスフォーマー アルマダ」について、どう思われますか?

監督:最終段階における、流される事の無いストーリー展開のおかげで、シリーズをまとまったものとしてつなぎ合わせる事が出来たと思います。ユニクロンが象徴する巨大な悪を前に、全てのキャラクターがどのように感じるのか。オプティマス(日本名:コンボイ)とメガトロンによる最終決戦を通じて、信念のメッセージを表しました。

 そのたった一つのメッセージがを聴者に届く事が出来たなら、最終目的は達せられたと言えるでしょう。正義が時代や国によって様々な形をとるのに対し、邪悪というものはある程度普遍的なものだと私は思っています。信念とは、立ち上がってその邪悪と向き合う事です。この作品を見た子供達が、そのメッセージを胸に残していってくれたなら、これ以上の感動はありません。


 

 

 

 

 

 

 

 

シグやんのこっそりコメント
 聞いた話ですが、マイクロン伝説において重要だったのは、やはり絵コンテの存在なのだそうです。重要な話では監督自らコンテを切られている事も多いですし(後はインタビューにもあった佐野隆史さん)、むしろコンテ次第で話が変わる事も多かったとか。
 という訳で、その辺注目して見るとまた新しい発見があるかもですよ、と。